片付いた

なんとか夏コミの本の入稿が完了しました。
いやぁしんどかった、15時完成17時入稿19時親が来るので山梨泊まり翌日神奈川で法事。
関東の一部は7月にお盆なんですね、地域差ってやつか。
そのまま親戚従兄弟一同と飲んだりしてぐでんぐでんでした。


じゃあちょっとまあそこであった話なんかも少し書いておこう。
あぁ、母さんが作ってくれたサザエご飯おにぎり、傷んじゃって食べられなかったよ…うう。




以下、チラシの裏 適当に流すといいよ!


















俺が3人兄弟の末っ子なんですが、一番上の兄貴ってのがどうやら 「霊的なものが見える」 人のようで、
しかもここ1〜2年で見えるようになったそうでね、地元の神社を建て直して新しくした奉納の儀式の日に
みんなで舞をしてたらその屋根の上で人が踊ってるのが見えて、「ありがとうありがとう」と言ってたそうです。
その日から見えたり聞こえたりするようになったらしいです。
かわりに呑み屋へ行ってもどこへいっても話しかけられるから微妙に困るそうで…でも呑む時は杯を掲げてそいつらと
一緒に乾杯をしてるだそうで。
まぁそんなエピソードはおいといて、法事の日も亡くなった叔父さんが来ていたそうで
何だか気まずそうに家の中を落ち着かなさげに歩いてたといってました。


それでお坊さんに念仏を唱えてもらった後に、みんなでご飯を食べてるときかな、兄貴が紙に何か書いてるんですね。
その紙を叔父さんの家族に渡して「よこでおじさんが言っていた」と言うんですよ。
さすがにそういうのは俺が見るべきものじゃないと思うので見ることはしなかったですが「ラブレター!ラブレター!」と騒がれてました、ちょ、お前ら小学生か!
うちの兄貴は結構ふざけた性格の人間だけど、さすがにこういう場で嘘はつかない人間なので、何の現実味もないけど
そういうことなんだなぁ と思いました。
正直、残された家族にとって 0よりも1あるほうが本当に救われることだってある。
兄貴がそういう見えるのっては、もしかしたらこういう風に家族を助けるために身についたものなのかもしれないな、
と思う今日この頃です。


もう1つ追記、
兄貴は眼鏡かけるとかえって見えないって言ってた。視力確か0.03とかだったよなぁ、
見るときは眼鏡はずして左目だけ開けてた。相手の声は膜が張ってて聞き取りづらいらしい。
それとこっちの声っていうのは殆ど届かないらしい、これも膜が貼ってるみたいなものなんだろうか。
そうなると、何でおじさんが兄貴にピンポイントで話してたか疑問になってきますが
これも理由があって、1年前おじさんの兄さんがなくなったとき(親父の兄ですが)、
「ここにきてて、おばあちゃんに怒られてる」と言ってて、うちの兄貴が見えるのをおじさんは知ることが出来たんですね。だから兄貴を使って家族に言葉を伝えたんじゃないだろうか。


そんな今日この頃、オレは凡人だからああいうのは絶対出来ないけど、その人にはその人の役割があるしオレにはオレの役割があるみたいに、出来ることがあるから、それをやっていって人を幸せに出来ればいいと思う。